話を遮ることの甚大な弊害

どうも、丸山です。まずはおめでとうございます。
ということで今回は「話を遮ることの甚大な弊害」というテーマで話をしていきます。甚大な弊害とは大袈裟なと思うかもしれませんがそれぐらい重要なことです。

 

数あるコミュニケーション技術のなかでも話を遮る、この行為は特に重要ですね。

仮に話を途中で遮るということをした場合にはそれまで相手と何かしらの関係を築いてきたものが無に帰します。

 

数えるくらいであればそこまで問題ではないですがこうしたことはクセになっていることがほとんどなので積み重ねで甚大な弊害となっていきます。

 

特に意識をしていない場合には無意識にそれをやってしまう可能性があるんですね。

あなたもそうした経験があるんじゃないでしょうか。

 

相手が話をしている時に、 先の展開が読めたらそれってこうだよねと相手が話してる途中に自分の言葉を挟む。

いわゆる相づちや頷きとは別です。

次の話をさせてあげるために促す行為ではなくて、相手の話そのものを断ち切って自分自身の話にするという。

 

自分自身のことがコミュニケーション能力が高いと思ってる人に多い傾向があります。

上手に会話をできてると勘違いをするんですね。

 

話を切って自分の話題に持っていく。これは言葉に表現をせずとも心の中にわだかまりが溜まっていきます。なんで遮ってまで自分の話するの?と。

こうしたことが積み重なっていって関係性が崩壊していくんですね。

 

遮る側と遮られる側、両方の気持ちを考えるとわかると思います。

これは対極に位置をしていますから相容れることはありません。

 

仮にあなたが話を遮る人と出くわした場合にはそういった人と関係を続けていっても得るものは少ないですから特に良い関係を築こうと思う必要もないです。

 

逆に相手の話を遮っていることが多いなと、心当たりがある方。

相手からの信頼、それまでの関係、これが全て崩れ去ります。

そのぐらい良くないことなんだという意識を持つといいんじゃないかと思います。

 

遮る側の人に関しては変に自信があることがあるので他人の意見を聞き入れたり受け入れたりするとことは難しいかもしれません。

 

別にそれでもいいから自分を通したいのであれば、話を遮ってまで話をしたいと言うのであればそれは止めませんけど誰も相手にしていないですよ。

有害なものを周りに撒き散らしているという自覚を持って慎ましくしていただきたいなと思います。

 

はい。コミュニケーションの技術、その中でも話を遮るという行為、 これは特によろしくないですよということです。

 

主に出る状況というと感情に飲まれてしまうときですかね。

特に喜怒哀楽の怒るという部分で感情が自我を上回って考える余裕もなくなる。

そんなときにこの話を少しでも頭の片隅に置いておくと冷静に戻れる。
そんなきっかけに使ってもらえれば幸いです。

 

ということで話を遮ることの甚大な弊害。

相手が何かを話していたら最後までしっかり聞く。

それがどんなに自分の興味がなかったことだとしても、話がたどたどしかったとしても、突っ込みたい場面があったとしても、 途中で遮らずに最後まで聞く。

適当に相づちをしながら最後まで聞く。最後まで聞いた上で相手に対して反応してあげるとよい人間関係が築けます。

 

今回は以上となります。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

※音声配信したものを編集して文章にしてます。ご興味ある方はSpotifyで検索していただくか時折埋め込みしますのでよろしくお願いします。