言い訳と説明の違い

どうも、丸山です。まずはおめでとうございます。

ということで今日は言い訳と説明の違い、というようなテーマで話をしていきます。

似て非なるものです。何を持って言い訳とするのか、何をもって説明とするのか。

この違いとはなんでしょうか。

 

はいこれは聞き手と話し手の意見の相違によるものです。

 

仮に仕事だとして、頼まれた成果物があるとしましょう。

〇週間後までにこういう仕様で作ってきてと言われて、わかりましたと受けてその通り作って提出したとします。ただここで、これ違うよ間違ってるよと言われました。

そうなると、いや違うんですよそうじゃなくてとか、これこれこうなんですとか、受けた方は説明をしようとしますよね。

これは言い訳だろうが説明だろうが何かしらこういうわけですよ。自分はこういうふうにしたんです、いや作ってって言われたんで、こういう仕様で作ってって言われたんでこうやって作ってきたんです。って言いますよね。私が悪いわけじゃないんです間違ってないですって。

 

もう一つ家庭だとして。

奥さんから旦那さんにいつも使ってる卵買ってきてと頼んだとしましょう。

頼まれた旦那さんは言われた通り白い卵を買ってきました。

ただ帰ったら、いつも赤い卵を使ってるんだと。赤い卵じゃなきゃ嫌だから買い直してきてなんて言われました。そんなこと言われても困りますよね。

同じ卵なんだから白でもいいじゃないかと、いつもと言われたって知らんよと言い返すわけです。

 

これは受けた方からすると説明なんですね。

受ける側が伝えるときの話っていうのは、説明をしてると思って話すわけですよ。

ただ、その話を受け取る相手、頼んだ相手からすると、それは説明だと思って聞けないんですよね。言い訳だと捉えることが多いんですよ。これってなぜだと思いますか?

 

はい。これは双方の意見が食い違っているからなんですね。

そのうえで求めた結果と違うことを正当化しようと言い訳をしているように映るわけです。

 

逆の立場を考えてみて、もし仮にあなたが誰かに何かを依頼したとします。

これやってきてあれやってきて、で言ったことと違うことをやってきたとします。

そのときにこれお願いしたことと違うんですけどって言いますよね。

そのときに相手がいや違うんですよ。これこれこういうことで、と話をしてくるとするじゃないですか。それをこの人は説明をしてくれてるんだなっていう穏やかな心で聞けますか?

人間ができてる人格者だとかそういう人であれば聞いてはくれると思うんですけど、ただ、言い訳をするような人なんだというように捉えられてしまう可能性が高いということです。自分の意見を言いたいと言ってる側は説明として言ってるんだけど、聞く側は言い訳として捉えてしまう。

 

これを解決するためには、姿勢を整えることが必要です。

説明を伝えたい人と言い訳を聞きたくない人。

どちらの立場でも、まず最初に相手を否定する言葉を投げかけてしまいがちなんですよね。いやそうじゃなくて、とか、違うってこれはさ、みたいな。

 

そうではなく、まず肯定してあげるんですよ。

やっぱりそうなんですね、なんかそんな気がしてたんです、確かに言う通り。

肯定クッションを挟んだあとに、短く簡潔にまとめて伝えると、相手が話を聞き入れてくれやすくなります。

 

言い訳と説明の違い。その人の置かれてる状況によって、それぞれの考えてることって違うんで、そこで意見が合致しないんですよね。

あなたと相手は同じことを思っているわけではないんですね。

 

あとは、人はやらないことできないことを正当化する理由を考える天才なので気を付けてください。俺は私は悪くないんだよっていうような。心当たりありますよね。

 

言い訳も説明も同じような言葉の言い回しというか、雰囲気が近いんでそれをどういうシーンで話をしてるのかっていうの、どっちの立場にあっても、理解をすること、理解をしてあげることです。

これができるようになるとですね、人より一段上の視点から会話というものができるようになっていきますので、双方の考え方や意見を尊重しましょう。

 

はい。ということで言い訳と説明の違いというテーマで話をしていきました。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

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全ての責任はあなたにある

どうも、丸山です。まずはおめでとうございます。

ということで今日は、全ての責任はあなたにある、というようテーマで話をしていきます。全ての責任ですね。それはあなたにあります。

 

どうでしょうか?そんなこと言うなよ?それともそれはそうだよね?

はい。責任を取るのは好きですか、それとも取りたくないですか。

自己責任なんていう言葉が一時期取り沙汰されてましたよね。

自己責任、何が原因だったのかは忘れたんですけど何かの理由で自己責任はどうたらみたいなのが世間に蔓延したときありましたよね。

これはもう言葉の通りというか、あなたの人生の責任は全てあなたで取っています。

これは好むと好まざるとに関わらず、取ってるんですよそれは。

もし違う嫌だと思ってる人がいたとしても、取らざるを得ないんです。

 

全てを他人に委ねたい任せたい。生きるも死ぬも他人次第。例えば誰かに今ここで首吊ってくださいなんて言われてね、はいわかりましたなんて言う人いないじゃないですか。全ての責任があなたになかったとするのであれば、責任を取りたくないとするのであれば、これは生きてるとは言えません。

つまりあなたの人生の舵を取らせるなと、そういうことなんですよ。

だからこそ、全ての責任はあなた自身にあるということを思う必要があります。

 

そうはいっても今ある状態、環境、性格、これは不可抗力だったんだと、どうしようもなかったんだと、そう考える人もいると思います。

生まれる環境は選べないなんて言いますよね。親は選べないし、生まれ落ちた環境も選べない、確かにその通りです。

そのうえであなた自身が選べないものに対して不平不満愚痴泣き言悪口文句、こういったことを言っても何も変わらない。

変わらないどころかよりマイナスの方向へ考えが及んでいくだけなんです。

人生からの逃避というものが始まるわけですよ。そうしたネガティブなことを言うとそれをきっかけとしてそういうようになっていきます。。

変えられないものは確かにあるんですけど、変えられないものをずっと引きずる必要ないんです。

 

例えばあなたが今コミュニケーションを人とうまく取れない、人間関係が良くない、そういうような状況だとして、そのためにどうしたらいいのかっていうことでいろいろ活動していく中でこれを発見してくれてるんだとするならば、これは変えられるものを変えようとしていると。責任が自分にあると気付き始めているんですね。

 

今あなたが置かれている状況の全て、それは誰かのせいですか、他人の責任ですかっていうようなことで、今のそのあなた自身を形づくっているものっていうのは、全て昨日までのあなた自身が作り出した現実です。

 

自己責任だとか言いますけどその言葉の響き自体は置いておいて、責任というところ、全ての責任はあなたにあると自分にあるとそう思うことで、初めて人生は好転していきます。自分で選んでるんですよ。

 

例えば職場でやれパワハラだ、手が出るときもあれば、誰からも頼りにされてなくてこんな職場にいて、もう大変だというようにね、そういう人がいたとしましょう。

その人っていうのは、そこに必ず絶対いなきゃいけないんですかというと、いつでも自分の意思で止めれるわけですよね。これは例えば非合法な組織にいたとしてもそうです。文字通り必死で出ていこうと思えば道は見えるものです。

 

かつ、そこにいるきっかけっていうのはなにかしらで過去のあなた自身が選んでるわけですよ。自分で選んで入った環境に対してそこを批判する、それは人生を放棄していることと同義です。責任を自分自身のことであると捉えられたならば、変えていけばいいと思えるようになります。

例えば今、結婚生活に不満があって子供もいるけど、家事もやって、パートナーには、優しくしてもらえず、こんなの嫌だと、今この状態がすごく嫌だなっていうように思うとするじゃないですか。

それって誰が選んだ生活なんだっていうと、それは今からこれまでの自分が全て作っていったというようなものなんですよね。

 

あなた自身からの願望ってものがあって、学びをすることになると思うんですけど、これは思った時点から前に進み始めてます。責任は自分にあるっていうことに気づき始めてます。どこかで認める必要がある。全ての責任は自分自身にあるんだということをどこかで全て受け止める必要がある。

 

楽な方に行くのか、苦しい方に行くのか。何をどう選ぶかっていうのは、そのときのあなたの考え方に依存しています。あなたのフィルターがベースとなっています。

どこかで気づいて、それを理解して、その通りだと思うようにですね、なっていけばより前に進んでいくようになります。

全てのね、責任はあなたにあると。これは文字通りもう全てです。

 

これは誰かが誰かのことを見て言うことじゃないんですよ。人が人に対して、それは自己責任だからよろしくだとか自分でやったんだから自己責任だろうみたいなね。

人が人に対して言うことではないんですよ。

これは自分が自分に対して言うことです。人はどうでもいい、そこは関係ないんです。誰かに言われたから自己責任だっていうそういうことではないんですよ。

あなたが自分で気付くことなんです。

 

はいそういうことなので、これが気付く一助になればと思います。

コミュニケーションができるできないっていうのも、実はそうです。

それは人のせいではないです。

 

ということで、全ての責任はあなたにあるというテーマで話をしていきました。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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話が合う人合わない人

どうも、丸山です。まずはおめでとうございます。

ということで今日は話が合う人合わない人というようなテーマで話をしていきます。

馬が合うとか合わないとかね、これ何で馬って言うんですかね。

それはどうでもいいんですけど、はい。イメージしやすいんじゃないでしょうか。

こういった経験ない人ってなかなかいないですよね。この人は話が合うなとか、あの人と話合わないな、なんていうのはね、これって何でそうなのかっていうこと、考えたことありますか。

 

話が合う人と言えば、趣味が同じ、住んでいる地域が同じ、家族構成が似てる、出身地が近い、似たような仕事、いわゆるあなたと近しい人ですよね。

なにかしら自分と近いものを持ってる、近い経験をしてる、近い技術を持ってる、そういう人に対して話が合うなっていうように思うんじゃないですかね。

逆に話が合わないなっていう人、これはいわゆるその共通点がない、ほぼないみたいなそんな感じですかね。

男性であるのか女性であるのかとか、今ジェンダーレスなんかもありますけれども、その性別の違いからもね、すれ違いが生まれたりだとか結構ありますよね。

 

これはですね、話が合う人と合わない人がいる理由、これはあります。

これ一つです。一つあって分けるっていうことであればパターンとしては二つあります。「思考の次元が違う」というようなですねことなんですよ、思考の次元が違う。

パターンとして分けるとするならば、次元の高低、あとは左右の幅です。

これ左右ってのはあくまでそのイメージ上での事なんで右だからこう左だからこうっていうことはないんですけど、これ重要なのは高低です。

 

次元の高い人は偉くて、次元の低い人は駄目で偉くないとかそういうことじゃないです。ただ、話が合う合わないっていうことがある以上理由があってそれは思考の次元が違うんですよっていうようなことなんです。

思考の次元が違うっていう言葉を聞いて、どう思いますか?

 

なんですかそれはっていうような感じですかね。もしくはスピリチュアル系の話かっていうね。これはね、スピリチュアル系の話ではないです。

はい。そういう類のこともあるんですけどこれはそうではないです。

 

2次元3次元4次元とかありますよね。我々人間は3次元に生きてるんで、3次元に生きてる人間が2次元のことを表現することってできますよね。

逆に2次元の人たちが、人たちがというか2次元のものが、その上の次元のことを表現することってできないじゃないですか。

 

これを人間の思考に当てはめるとどういうことか。

例えば企業であれば社長と社員、家庭であれば大人と子供、そもそも考えてることが違うんですね。

具体的には、企業の社員であれば、待遇、労働環境、ワークライフバランス、また給料だボーナスだなんだと、そういうようなことを考えている。

社長であれば規模にもよりますが、ビジョン、社会貢献、決算、税金、そういうことを考えてるわけですよね。

一つの事象、同じテーマであっても考えてることが思ってること違う。

思考の次元が違う2人が仮に企業というものをテーマにして話をしたとしても、それは話しが合わないですよね、考えてることが違うんで。

これって言い換えるならば次元が違うっていうようなことなんですよ。

それは大人と子供も同じで、大人が普段やってることを子供に話したとしても子供はそれを理解できないですし、逆に子供が子供のコミュニティの中でやってることを大人に話したとしても、大人は理解できないですし、そんなようなことなんですよ。

 

考え方の元々の根底が違うんで、次元が違えば合うわけないよねと。

仮にその次元が同じだったら合う可能性が高いですが、この次元が同じであってもさっき言った左右横の振れが違うとこれもまた話が合わないなんてこともあります。

例えば社長と社長で根本の思考は近いけど、業種業態規模で噛み合わないことがあったり、社員と社員でも例えばSEと農業だとかでまったく違う仕事をしてるのであれば噛み合わないという。

 

なんでその話が合うっていう人は、おそらくあなたと近しいもしくは同じ次元の考え方をしていて、って話が全然合わないなっていう人がいるんであればその人とはおそらく次元が違うんだと。その考えていることのね、物事の次元が違う。

感覚としては何となくわかるけど話してみて噛み合わないなということであればおそらく左右の幅が離れてる。

 

それを意識することです。話が合う人と合わない人がいるなと思ったら、そこで考えることをやめない。この人話が合うからそのまま付き合っていこうとか、この人話し合わないから付き合いやめたとか。

そこで終わってたら考え方、その思考するっていう習慣、これが伸びないんでそこで終わらずになんでこの人違うんだろうって考えるっていうね、そういうことをしていくっていうのもいいんじゃないかなと思います。

 

はい。話が合う合わない、そういうことがあったら、ああそうかと。

これが思考の次元が違うということなんだと。

あなたから見てのあなた基準でね、全てはあなたの基準です。

そういうことを考えるのも一つ思考の段階を成長させるのに役立ちます。

考え続けることですね。

 

ということで以上となります。

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

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綺麗事

どうも、丸山です。まずはおめでとうございます。

ということでですね、今日は綺麗事というようなテーマで話をしていきます。

綺麗事、好きですか。私は大好きです。はい、綺麗事ね。

やらぬ善よりやる偽善なんていいますけど、それを思い浮かべてそれって綺麗事だろうっていうようなね、いわゆる偽善だろうっていうようなことで使う人もいますよね。

 

綺麗事っていう言葉自体に良い意味を持っていないと思う人多いんじゃないでしょうか。調べると表面だけを取り繕う、体裁だけ整えるみたいな意味が書いてあって、それが一般的な解釈なんでしょうね。

もっとシンプルにもっと単純に考えて綺麗っていう言葉、これはいい意味ですよね。

綺麗な部屋、綺麗な家、綺麗な車、綺麗な人、これいい意味で使うじゃないですか。

で事。ことはことですよね。

 

シンプルに綺麗事って、もう綺麗ですよね。それこそやらない善よりね、やる偽善の方がいいじゃないですか。これって偽善だろうが善は善なわけですよ。それを綺麗事だと、偽善だと決めるのは誰ですか。

 

当然これはやってるその本人ですよね。本人自身がこれは偽善だと思いながらやらないじゃないですか。いいことしてるなと思ってやるわけですよ。

それが自分のためであれ相手のためであれ、いいことですよね。

もし仮にそれが偽善だったとしてもやり続けることで本物の前になっていくんですよ。

 

ある青年の話で、ずいぶん昔、心の器が最下層にまで落ちていた人がいまして。

例えば24時間テレビとかあるじゃないですか。

この24時間テレビの、例えば障害のある方たちが芸能人と一緒に歌ったりするじゃないですか。チャリティーイベントで募金してくださいっていうようなテロップ出して。

当時青年はそういった慈善活動だとか良いものを見ると、もう反吐が出るというようなね、もうこんなのは偽善も甚だしいと、どうせこれで得する人がいるからショーとしてやってるんだろうと。見世物にして、美男美女がぞろぞろ寄ってきて全国に垂れ流して、結局裏で動いてんのは金だろ、しょうもない。みたいなね、腐った考えをしてたわけですよ。こんなのは綺麗事だろうと思ってたんですよ。

 

まさに調べた通りの意味で使ってたんですよね。綺麗事っていうのは、取り繕ってる上辺だけ偽善だと。今その青年に会ったらそれは違うぞと、それはお前が本当にわかってないだけで本当に心の底からいい人はいるんだというように説教したいくらいです。

 

そこでですね、綺麗事って言葉を聞いたときにあなたは何を思い浮かべますかっていうようなことです。

あなたが普段やってるいいことって何ですか。あなた自身がいいと思ってやったことはそれはもう綺麗事だと思ってやってないですよね。綺麗だからやってるんですよね。

 

例えば私の場合、いい人間関係の人が増えてほしいっていうような思いだとか、このコミュニケーションの技術を向上させることによってより良い人生、より良い考え、豊かな人間関係、せっかく一度きりの人生ほとんど全ての悩みは人間関係なんだと。だとしてその人間関係をうまく円滑にするっていうことの一つとして、コミュニケーションというものがあるんだと、そのコミュニケーションっていうのは技術で向上させることができるんだっていうことに気づいたわけですよ。それを伝えていきたいっていうこと。これはもう綺麗事なんです。これはいい意味での綺麗事だから、綺麗だからやりたいと思ってやってるわけですよ。ただこれを当時の昔の青年みたいな人が見るとですね、曇ったフィルターを通しての意見が出るんですね。

 

そういう人ってのは、合う合わないもありますし、まだこの段階に至ってない人っていいるんですよ。順番があるので、いい心持ってない人がいきなりジャンプして善なる心になることってできないんですよね。必ず順番が段階があります。

そのひねくれてた青年はですね、あるとき変わらないと駄目だと思い始めて気づき始めて学びを始めてから毎日何かの情報に触れて、自身の変化に気付くのに6年かかったんです。それほど心が醜い人が良い方向に行くには時間がかかることなんですね。

 

ただ、これを読んでくれているあなたは既に心が善であるだとか、そもそもそんな醜い心なんか元からないからそんなこと言われても困るみたいなね人なんだと思います。

一応ね、届かない人には届かないっていうことはわかってはいるんですけど、まだこの段階に来てないっていう人に届かないっていうのは確かにわかってるんですけど、そういう人にこそ変わっていってほしいっていうように思うんですよ。

こんなに素晴らしい世界があるんだっていうね、この想いっていうものをですねちょっと今回綺麗事っていう言葉に絡めて話をしたかったんで。

 

なんでね、綺麗事、これは取り繕ったり表面だけやったり、その調べた通りの意味のことではないと私は思ってます。綺麗事はやったら綺麗なんです。やればいい。

やっても善やらなくても善ならやれとね、いいと思ったことはやった方がいいです。

人目を気にして、他人がやってないからとか、そんなの関係ないです。

いい行いを続けていったら本当に心からよくなるんでね、それはもう保証します。

 

ということで綺麗事、以上となります。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

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一言話す勇気が出ない

どうも、丸山です。まずはおめでとうございます。

ということでですね、今日は一言話す勇気が出ない、というテーマで話をしていきます。まず最初の一言が出ないですよっていう人ですね。はい。

 

技術だなんだと言ったって話す勇気がないんだよと、そもそも最初の一言を話せないから困ってる、技術もへったくれもあるかいというね。そんなあなたに向けて。

もしそういう方がいればなんですけどこれは誰しも通る道というか、何にでも始まりがあるようにコミュニケーション苦手だっていう意識がある人っていうのはね、このコミュニケーションの技術の第一歩目っていうものがあるんですよね。

 

これも解決策があります。具体的なものがあります。

一言話す勇気がない。これには原因があるわけですよ。物事には全て原因があるじゃないですか。根本から変化をしていくには理解するほうがいいんですけど今わからないのであればそれはそれでいいです。

より自身の内面に入っていって自分自身を理解するプログラムがいろいろありまして、そのうち話そうかと思ってますが分野が広いので気になる方は名前だけ書いときますので調べてみてください。

エニアグラム、ストレングスファインダー、五つの傷、などなど

 

核となる心の部分は内面から変える必要があるので今回は表面のね、小手先にはなるんですけど、これさえあれば心強い武器となる。

おなじみの鉄板トークを1個だけ作るということです。トークと言っても長くなくていいです。会話の基本は相手に喋ってもらうことなので質問形式の一言です。

 

そうは言ってもね相手がいますよね。会話っていうのはまず一言話しかけるわけですから。質問式鉄板トークって言ったって、相手の返答次第じゃ言葉に詰まってしまいますよね。大丈夫です。これは、相手の答えを絞るトークを作るんですよ。

何を言っても相手が同じことを返してくる。AかBかCかしかないみたいな。

セールスの世界なんかですかねよく使うのは。二者択一話法だとかそういうような呼び名があります。

 

例えば、お正月。あなたは初詣に行きますか?答えてください。

この一言に対して、行くよ、行かないよ、考えたことないよ。

これ以外の答えを言った方います?基本的には三択ですよね。

この三択、答えを絞った質問をしたうえでどの返答であっても会話になる言葉を考えて覚えておくと、言葉に詰まることがないです。

 

お正月の一例でやってみます。

初詣行きますか?→行きますよ→そうなんですね。私もそうなんですよ。

初詣行きますか?→行かないよ→そうなんですね。私もそうなんですよ。

初詣行きますか?→考えたことないよ→そうなんですね。私もそうなんですよ。

 

はい例えばこんな具合です。最初の一言が話せるようになったらあとから応用していけばいいので、まずはあなたのオリジナルテンプレを考えてください。

丸暗記をする必要があるんでオリジナルのほうが覚えやすいと思います。

この法則に則った文章を言葉を作って試してみてください。

いきなり人に試すのがしんどいのであれば、鏡に映ってる自分に向かって話しかけて相手の返事も鏡に映ってる自分が言う、それに対してこう返すと。練習できます。

 

あとはメンタルの部分で、誰も相手がいない状況で一言話す勇気が出ない人なんていませんよね。一人でいるときに独り言を言えない人いませんよね。

ということは少なからずよく見られたいっていう思いがあるんですよ。

これって、どこの誰になぜよく見られたいのか、その辺の考え方の部分で、あなたが一言発したとして、それを変だとおかしいと言ってくる人がもしいるんだとすれば、それはもうあなたが相手にする人じゃないんです。

そんなことを言ってくるような人はいいんですよ。あなたとは生きている世界が違うんです。どっちが上とか下とかではなく、もう世界線が違うんです。

どこの誰になぜ、この想定、方向を世界線が違う人に向けても届きませんと。

 

はいなのでね、一言話す勇気がない人。

あなたがそうなのであれば、相手の返事が決まってる鉄板トークを一つ考えると。これはもうあなたオリジナルで考える。想定外の返事が返ってくることもあるかと思いますが、実はそういうときが一番学びになります。

 

あとはね、一言話す勇気が出ないことくらいであなたのことを悪く言うような人笑うような人がもしいるんだとしたら、それはもうあなたとは生きてる世界線が違いますので気にすることないです。

 

ということで以上となります。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

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怒る人怒られる人

どうも、丸山です。まずはおめでとうございます。

 

ということで今日は怒る人怒られる人というようなテーマで話をしていきます。怒ったことない人、怒られたことない人いないですよね。適切に使えば人間関係が良くなることもあれば、不適切に使うと人間関係が悪くなることもあります。

 

必ずしも怒ることが駄目っていうことはないですし、また怒られる側もね、怒られることが駄目だというようなことではないですよね、状況いろいろあると思います。

 

いわゆるプライベート、仕事以外での感情のぶつけ合いはね、そこは好きにしていいと思います。いわゆる夫婦だとか、恋人カップルだとか、友達親子、あとは出かけた先でどこかの他人と喧嘩になってみたいな。それはもう好きにやったらいいと思います。

罵り合いは良くないですけど怒ったり怒られたりっていうのはお互いの関係を深める上で必要なんでね。特にプライベートは。行き過ぎの場合は次に話す技術を使ってください。はい。

 

ベースとしては仕事でっていうような話をします。先に怒る人から。

怒るということも理由があるわけですよ。

同僚、上司、部下、取引先、お客さん、株主、仕事上で付き合いのある関係の人っていると思うんですけど、誰が相手であっても原因と理由と目的があるはずなんですよ。本来は。原因と理由と目的、これね。

 

怒るにも二つパターンがあります。感情なのか理性なのか。

感情の方で怒るのはもうはっきり言って論外ですね。プライベートならいざ知らず仕事っていうことは、少なからず利害関係があるはずなんですよ。どういう関係であっても。

 

そこに対して感情で怒ってしまうというようなことは、これは論外です。とはいえ誰でも1回はあると思います。やってしまった後に失敗したなとか、ちょっと頭に血が上ってとか。あると思うんですけどこれはほとんどの場合、後からどうやって火消しするかっていうことに頭抱えることになると思うんで、感情で怒ることはもうやめましょう。

 

もしこれができないのであれば、技術の前に心理が必要なんで、アンガーマネジメントを学ぶか私の記事を読み続けてください。いわゆる怒りは6秒耐えましょうなど心理的に怒りを抑える方法です。技術を使うには理性が大事です。

 

創業社長でビジョンがあって想いがあってという場合に感情で怒るケース、気持ちはわかります。ただそれを感情に任せてただ怒鳴りつけるのは時代が時代なんで人を選んでください。

 

次に理性ですね。

理性で怒るということは、原因と理由と目的がハッキリしてる、つまり怒ったその先も考えてるはずですよね。先を考えてるということは、あえて感情で怒ってるように見せることもできるということです。

 

理性で思い浮かぶのは、1番は上下関係ですかね。組織内の立場もあってここが感情的になりやすいポイントではないでしょうか。

そんな組織内でしか役に立たない関係なんてあってないようなものですが。

 

はい、社長と社員、上司と部下っていうね、仕事の関係上で理性で怒るっていうことは、相手にこうなってほしいっていう目的があるわけですよね。

 

原因理由目的っていうところで、まず先にやるべきことは、これからあなたのことを怒りますけど、その原因って何ですかっていうことをヒアリングしてあげることです。

怒る対象が何でこれから怒られるのかっていうことをちゃんとわかってないと、全く響かないものになるので、これはしっかり聞く。

 

何でもいいんですけど何かミスをしたと仮定して、原因を問うわけです。ここでやりがちな間違いっていうのが原因も聞かず、理由も聞かず怒ってしまう。

 

これは相手に怒られる姿勢ができてないので聞き入れられません。

怒ることの目的を達成させるためには、しっかりと相手にこれから怒られるんだという姿勢を作ってもらうことが大事です。まず原因をヒアリングすると。

 

するとこういうことなんですと話が返ってくるので、わかった、その件のここに関して怒るぞと理由を述べて、これこれこういう理由だからそれはよくないんだと、直すべきなんだということを言うわけですよ。

 

最後に目的を伝える。今こういう原因で怒ったことに対して、こういう理由がある。

で怒ったのはこうなってほしいからなんだというね、最終的にはあなたのためを思ってなんだというようなことを伝えてください。

 

これね、社風だとか怒る人の個人の考え方っていうので最後まで伝えないっていうようなこと結構あるじゃないですか。自分で気づいてほしいから皆まで言わないっていうこと。

私の考えは、怒るっていうことにおいては全部言った方がいいです。後から気づいて、そうかってなるのは本当にもう一部の優秀な人だけというかね。そこまで考え至らないことが多いですから怒られる側っていうのは。

それか気づくことになっても何年も後みたいな、あのときこうだったんだっていう、それじゃ遅いじゃないですか。

怒るときはね、その原因と理由と目的これ3点セットで皆まで伝えておいた方がいいんです。

 

そしたらそのことに関して相手が考える余地ができるんですよ。

怒った話はもう終わりだと、いつまでも引きずらせても益がないですから。

なので怒る人は全部伝えてあげた方がいいです。

 

次ですね、怒られる人。これは相手をしっかり見ておいてください。

感情で怒ってる人には特徴があります。

とっさに暴言を言う、怒鳴る、常に怒ってる。

そういう人は感情をコントロールできてないので全て受け流してください。聞くだけ時間の無駄です。特に怒鳴る人、怒鳴ったらもう聞くことをやめてください。

ただ姿勢にだけ気を付けてください。体のポーズです。

足を閉じる、手は横、少し猫背、顔は下向く、虚ろな目をして時折相手の目を見る。

こうすることで反省の態度が前面に出ます。感情の人は自分の優位を示したい場合が多いので優越感を与えてあげてください。どうしても避けられない関係であればなおさらです。感情で怒るような人は内側に入ると御しやすいのでメリハリをつけて対応しましょう。

 

理性の人に怒られる場合は真摯に受け止めてください。人格者である場合が多く、仰る通りなうえにあなたのためを思ってのことなので勉強になることが必ずあります。そこをしっかり吸収させていただきましょう。そして言われたことが理解納得できない場合は質問したり言い返したりしましょう。そのことも恐らく想定内で怒ってきているので適切な回答をもらえるはずです。理性の人はそういった余白を残していることもあります。今のあなたのレベルを見極めるためです。そこに気付けたとき、怒られたことに感謝することになります。ただ、数は少ないので読み違えないように気を付けてください。

 

はいそれで怒られた後に取る行動、これ非常に大事なことですが、感情理性、いずれの人にもお礼を言いましょう。え?感情にも?って思いますよね。

正確には、理性の人には感謝で感情の人にはお礼です。

 

効果的なお礼の使い方は3回、事前、当時、以後がベストですが、怒られるときの事前はわからないと思うので、2回使います。

怒られたその場でありがとうございますと、後日に先日は怒っていただいてありがとうございます。という感じです。

 

これは言ったら怒った方もそうかちゃんとわかってくれたかとなりますので。

怒る方は怒られる人に対してを思いを伝えたいわけですからしっかり受け取らせていただきましたと伝える意味でも言うんですね。

 

理性の人には言わずもがな身も心も感謝してください。

感情の人には形だけです。あくまで形だけ。

これがミソで、感情で怒る人の内側に入って味方につけたらもうその人との人間関係で悩むことがなくなるわけですよ。ストレスの原因が1つ減るということです。

離れられる環境であればいいんですけど、実際問題そうはいかない人も多いと思うので技術の一つとして使ってください。手玉に取ってあげてください。

 

形だけでも嫌、口が裂けてもお礼なんて言いたくない、という場合であってもね、騙されたと思ってありがとうございますと言い続けてみてください。

これは面白いことに、そのうち相手の方からは離れていきます。

感情で怒る人に関してはお礼を言われると戸惑うんですね。相手を下にして優越感に浸りたいのになぜかお礼を言われてる、面白くないなということで離れていきます。

 

ということで怒る人怒られる人。

感情で怒るこれはもう論外なのでやめましょう。

理性で怒る、原因と理由と目的、これを皆まで伝えてあげると、相手に自分で気づいてほしいからっていうのはね、これは本当に一部の優秀な人にだけでいいと思います。

 

怒られる人、はいこれは相手の特性パターンを見極めてしっかり聞くかスルーする。

見極め方は怒鳴る、暴言、常に怒ってる、これは感情なんでスルー。ただし姿勢は気を付けてと。

理性で怒ってる人に対してはしっかり真摯に受け止めてお勉強させていただく。

そしてどちらの場合でも2回お礼を言う。

 

ということでですね、今日は怒る人怒られる人というようなテーマで話をしてきました。最後まで読んでいただいてありがとうございます。

 

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常識という鎖

どうも、丸山です。まずはおめでとうございます。

ということで今日は常識という鎖というようなテーマで話をしていきます。

常識に縛られるな、常識を疑え、っていう表現ありますよね。鎖です。

多くの人はこの鎖に縛られています。だからこそ常識が常識となっているんですけどね。あなたにとっての常識は何ですか?

 

常識というもの、これはですね、私なかなか嫌いです。

日本人だけではないですが、日本人ってとりわけみんなと同じが好き。みんな一緒、みんなやってるから、みんなそうだから、なんてこと好きな人が多いじゃないですか。

この常識っていつから身につきましたか?

いつから何を常識だと感じるようになりましたか?

 

生まれたばっかりの赤ちゃんに常識があるかって言ったらないですよね。

何の知識も、ましてや自我もないわけですから。常識っていうものは生きていく過程で誰かに教えてもらってるわけですよ。ではその教えてくれた人は誰から教わったんですか?つまりですね、教えられたことをそのまま常識としていたら、あなたの意志ではないということです。

 

知らず知らずのうちに世間と仲良くするようにと教えられて集められた人たちと共同生活をするようになって、多くの人は同じように教えられてますからその共同生活内での

日常が常識になっていく。その方が都合がいいんですよね。これは残念ながら奴隷の作り方と同じです。大丈夫です、この違和感は記事の最後には払拭されますので。

 

子供のときはまだ常識という観念が薄いので染まりきらないんですね。

大人になってから、社会人になってからの常識という方が色濃いです。

企業、政治、宗教、お金、一つの考え方に染まる機会が増えますよね。

 

全然悪いことじゃないんですよ。むしろ素晴らしいことだと思います。

一つの会社に長く勤める。ブレずに一つの政党を支持する。信仰心をもって一つの宗教を指針とする。何かのことを一つ続けられるっていうことは能力ですから、一つのことを長く続けるっていう、これはもう本当に素晴らしいことなんです。

その上で、そういったところに長く身を置いていると「その組織の常識があなたの人生の常識」になってしまうというようなことが起こりかねない。そういう人達たくさん見てきました。

周りが見えなくなるというか、そもそも知らないんでわからなくなっているということにすら気づいてないっていうような事態に陥るわけですよ。

その組織の常識って誰が考えたんですか?それが気付かぬうちにあなたの人生の意思決定全ての基準、常識になっていると思うと恐ろしいことですよ。

 

こんなこと言って、お前はどうなんだっていうようなところなんですけど、元々は一つのね、いわゆる新卒と呼ばれる状態で入った会社には3年勤めてたんで、そのときはもうそこしか知らないわけです。その後企業としては七つ経験してるんですね。いろんな企業でいろんなことやってきたんですけど、会社員っていう形で働いたのは七つあります。良い悪いっていう意見はあると思うんですけど、私は個人的には多くのことを経験してきてよかったなと思ってます。

ただ、だからこそ、一つのことを長く続けてこなかったからこそ一つのことを長く続けられる人っていうのは本当にすごいなと思いますし素晴らしいなと思います。

 

コミュニケーション、会話、人間関係、本来何の常識もなかったはずなのに、あなたではない誰かが考えた常識に縛られて視野が狭くなる人が多い。

常識を作る人、作られた常識に従う人。個人の自由ですが、本当にあなたが決めたことですか?

 

常識という鎖から解き放たれるには、複数の常識を理解することです。常識といわれているものは誰かが作ったものなんだと気付くことです。いろんな角度から情報を見ることです。両極に立てる考えを持つことです。

 

ブログを読むような方はやってると思うんですけど、本を読んだりオーディオブック聞いたり、いろんなことを知るっていうことがね、大事なんですよ。私自身500冊以上読んだり聴いたりしてるんですけど、いろんなこと知れるのって楽しいじゃないですか。学びに終わりはないというか楽しいから終わらせたくないのでインプットも継続してるんですけれども、常識というものに縛られて視野が狭くなってしまう。その鎖に縛られてる人が多いなというように感じるわけですよ。

 

じゃあどうするかっていったら、今、常識という鎖に仮に縛られてるんだとしたら、本を読むことです。月並みですけど。

これ本当にそうなんです。もう本当にそうなんですよ。日本人の何割がどのくらいの期間に何冊読んでるなんてデータがありますが、そんなことは関係ないです。

あなたが読むんです。

 

これは有名なねアインシュタインの言葉ですけど、常識は18歳までに得た偏見の塊であるなんていうのはね、こんな感じでしたっけ。はいあるじゃないですか。

本来1人1人全く同じ考え方の人なんていないはずなんですよ。

常識、これを一つの知識、一つの組織、一つの情報こういうものに縛られないで、いろんな角度から仕入れましょうとね、いうような、これもその一環として捉えていただけるといいと思います。なんでね、その常識という鎖というようなところで、これは大人になってから一つの組織に長いこと属していると、その組織の常識があなたの人生の常識になりかねないということです。

それでもいいっていう人はね、本当に心の底からそれでもいいなんて人はいないと思うんですよ。年齢を重ねて半ば諦めるようにもういいよって感じでくたびれないでください。人生で一番若いのは今です。

 

あなたの人生なのに、誰かが決めたことですよ。その組織の中の常識ってのはいわゆるルールっていうものは組織を起こした人、もしくはその起こした人たち、決定権のある人たち、人が作ったものになぜ従うのかっていうね。

そればっかしや広がりがないじゃないですか。誰かが決めたこと、誰かが言ったこと言ったら法律なんかもそうですけれども、法律はね、大事ですよ秩序を守る上でルールがないとね、人は獣になるっていうようなことなんで、ルールはすごい大事だと思うんですけど、国家で扱ってるこの法律だとかそういったものも結局のところ人が決めてるわけですよ。

もういつの時代だか、法律ねこれはもうあの大事なんでこれは守るべきなんですけどもそういうことを意識してみるっていうのもいいと思います。そのときにはね、今ある状況常識にとらわれることなく、どうこうするとかじゃなくて、そうだなと。

思い考えてみたら、そりゃそうだなと。一つの組織に属してれば一つの考え方にもなるし、いわゆる国家というものですら、誰か人が考えたものであって、つまるところその誰かの常識の集合体なんだなっていうようなね、常識個性の集合体なんだなっていうようなことをね、思うだけでも、考え方っていうのはね、変化していくものなんで、何にでもそうなんですけど、気づくことなんですよ。この気づきって非常に大事ですから。

 

気付いた上で、必要であるならば技術をもってあなたの意志で常識というものに合わせてあげてる、ということを理解することです。

 

ということで常識という鎖というようなね、テーマで話をしてきました。縛られないで。

 

今日は以上となります。最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

※音声配信したものを編集して文章にしてます。ご興味ある方はSpotifyで検索していただくか時折音声埋め込みしますのでよろしくお願いします。