未 時間は有限

どうも丸山です。まずはおめでとうございます。
ということで今回は「時間は有限」というテーマで話をしていきます。


時間ですね。有限です。当然ですよね。人1人に

与えられている時間。これは平等なんですよね。いろんなところで使われる表現 でもあります。時間は有限だから有効に使いましょうとか、 無駄にする時間はないだとか、時間に関する表現だとか、そうした書籍、

色々ありますよね。これは誰が聞いても賛同すると思います。そう、それはそうですよね。
時間は有限ですから。では、この有限な時間をですよ。あなたはどこの 誰に、何に、どうやって使いますか。この人生の

時間、命そのもの、こうした時間をですね、限りがあるという、そうしたことを どれだけの人が意識をしているでしょうか。私もですね、 常にね、そうしたことを考えられているっていうことでもないんですけれども、ふとした瞬間に、

ああ、そういえば時間は有限なんだなということをですね、思い返す、特に 無意味な時間を過ごしている時というかですね、本来自分がやりたいことをやっていない時間、そうして、時間をですね、 なんて言うんですか、浪費した後、投資でもなく、ただの浪費、消費、

そうしたことにですね、もう時間を使ってしまった後に、自分の人生の時間は有限なんだと、そういうことですね、 再認識するようなことがあるんですけれども、 そうしたところでね、そのあなたはどういった時間の使い方をしてますか。こうした限られた人生の時間というところで、あくまで

私の1個人の限定的な意見、意見というか思うところがあって、有限である時間、 人生の時間、そうしたものをですね、他人のために使っている人が非常に多いなというようにですね、 感じるわけです。こうして他人のことに何かをしたものが、結局のところ自分自身の喜びと変わっていく、

そういうことはですね、あるんですけれども、例えば私の例で言うとなんて言うんですかね、 その人間関係ですね。こうしたより良い人間関係、コミュニケーションの技術を向上させて、より多くの人がこのより良い人間関係というものを 気づこうと思えば気づけるものなんで、そうしたものをですね、発信して伝えていきたいっていう、そういう思いはもちろんあって、

では、なぜそれをやっていくのか。当然それは人のため、世のため、そうした思いがですね、あることは確かなんですけれども、 そこには少なからずそうして自分自身も喜べるという、そうしたら自分の人生、 その有限な時間の中にこれはやるべきことだというね、私はそう思って、結局自分が自分のためにもなってるわけですよ、このことは。

これがですね、私のほんとに1個人の意見で、ちょっと理解に苦しむなというようなことが、知らない人ですね、 知らないというか、直接合わない人というか、一般に有名人と言われている人たち、そうした有名人である人たちに、 表現はですね、正しくはないと思うんですけれども、群がる、寄っていく、

自分のですね、こう人生を使ってその人のことを追うというんですかね、一般的にね、こうイメージできるのは、もうテレビあるじゃないですか、 メディアね。そうしたところで、こう世間にこう認知が広がっていって、有名人と 言うようになっていった人たちの動向を追ったり、ネットニュースがどうだとか、

そうしたものを、それぞれのファンと呼ばれる人たち、もしくはその周りの人たちというかなのね、もう興味もないような、 私のようなね、そういうことに興味のない人間であっても、名前の聞いたことのあるような有名人の人がどうたらこうたら なんですか。結婚しただとか、不倫しただとか、喧嘩しただとか、事故っただとか、捕まっただとか、

そういうですね、どうでもいいことって溢れてるじゃないですか。溢れてるとかね、メディアが垂れ流しているというか、それはね、どうでもいいと思う 種類の人というか、あそこにこう、該当しない人、特に興味のある人でもない、赤の他人なわけですよ。
そうしたところにですね、こうは言って、あなたの人生の時間、

もしね、あなたがそうであったならば、あんまりね、ちょっと申し訳ないんですけれども、 それでいてね、それでいて、結果としてあなた自身が幸福になってるんでいるのであれば、それはただ私と意見が違っただけなので、好きにね、やるのが、本来 それは結構なんですけれども、どうしてもその理解ができないっていう部分、知らん人にですね、

すごいだとかキャーっていうような訳を言うっていうようなね、そういうことってないじゃないですか。
なんですか、一般人と呼ばれてる人達、有名人のね、対比として一般人、無名人というんですか、そういう人たちの方を無理に 有名人、そうした人が来て群がる映像だとかね、そうした光景をお見聞きするたびに、

この人たちの中にどれだけ自分の意思で時間は有限だということを意識をして、ただ、メディア広報もそうした ものによって認知をしたいと思って認知をしたわけでもない他人のためによい自分の人生の時間を使ってられるなと、 こういうようなですね、ちょっと皮肉めいたことを思うことがあるわけですよ。

どうですかね、もうこういうことって、あなたはどう思いますか。1回しかない有限な時間なんですね。それの使い方として、 果たしてそうした使い方をしていて楽しいのかなと、そういうようにですね、思うわけですよ。
言わば医師の娯楽というんですか、そうしたものにこう興じている状態、理性があるようでない状態、そういう

もの中にですね、入り込んで、どこを見渡しても霧だらけで、ただそれにその本人は気づいてない、そういうようなね、 印象を持つんですよね。ちょっと、私からするとかはね、有限ですからね、なんて言うんですか、 ただ、思ってることを登録するだけの、このね、音声を聞いていただいてる方も、自分の時間を使っていただいてるので、

なんというか、ま、いらん話だったなという、そういう風に感じる方もいるでしょうけれども、 言いたいことだけ言ったっていうのはね、もう本当に、そういう話です。常々ね、思ってたんで、そういうことは、本当にね、その 本人がいいと思ってればいいと思うんですけど、人生の有限な時間を使ってやる、それだけの価値があるんだと、

そうしたね、元気をもらえてるんだ、希望もらえてるんだ、そういうことであればね、 他人がどうこう言うことではないですから。私、私のようなね、他人がそれをどうこう言うことではないですから。ただ、ただ、そうしたですね、 自分の時間、有限な時間を有効な人間関係に使ってくださいよと、もっと身近にいるでしょうというね、

そんなようなことを日々思ってるわけで。偶像崇拝というかね、なんなんでしょうね、あれが。現象は恐ろしいですよね。
私はそう感じます。ということでね、ただ、思ったことを話すという、 毎回そうなんですけどね。毎回そうなんですけど、今回はちょっとですね、話しててなんなんですけれども、果たして実りがあるかなと。

どうですかね。はい、言いたいことだけ言いました。ということで、今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。

 

clovanote.line.me