未 比較すると萎縮する

どうも丸山です。まずはおめでとうございます。
ということで今回は「比較すると萎縮する」というテーマで 話をしていきます。

 

はい、比較ですね。どこかの

誰かと何かを比較する。そうしたことをすると、自分と比べてという意味での 萎縮をする。あなたが誰かと比較をしたら、その誰かの方があなたよりも優れていると 感じたり、自分を自分の方がダメだと思ったり、そうした経験ですね。

誰でもあると思います。当然私もありました。
で、この比較をするということですね。コミュニケーションにおいて言うと、今話をしている対象の人と比べて、 自分の方がなんだか劣っている気がするなと、そういうようなところで萎縮をしてしまう、

こういうケースがですね、あります。萎縮をすることによって発言ができなくなったり、 言いたいことが素直に言えなかったり、恐れにも似たようなね、感覚、そうした状態になる。
そうした誰かと何かを比較するということは、まことコミュニケーションにおいてもしない方が

いいんじゃないでしょうか。そんなようなね、ところなんですけれども、誰かとですね、自分を比べる、 こうしたことは、比較、言い換えると競争心ですね、そうした競争心があるというのは、それが合う人からすれば 悪いことではないわけですよ。誰かと比べることによって、自分のやる気というかね、

そうしたものが湧いてきて、超えてやろうというような努力をする原動力になる。
当然そういう人もいますから悪いことではないんですけれども、そもそもなぜ人は人と比較をするのか、 なんで誰かと自分を比較するんだろうと、こうしたことを考えたことはあるでしょうか。

これはですね、教育というところにポイントがあって、 誰かとですね、比べるように教育をされてきたからなんです。それは、 今の、現代のに、日本で生まれてそこで育った人であれば

義務教育は通常ありますよね。小学校、中学校と、人によってはその高校、大学、 学生という時代を過ごすということがあると思います。自分自身という軸を 形成する段階において、そうして誰かと比べるようなシステムは、

こうした教育機関にですね、搭作用されてるわけです。少なくとも今の現代の日本だと、それが仕組み化されてますよね。
ある一定の年齢に至れば小学校に入ることになるし、 よっぽどのことがなければ、そのまま小学校、中学校と義務教育という決まりで進んでいくことになると思います。

また、この状態の時は、自分の意思でどうこうというよりかは、誰かの非護を受けていることが多いですから、それが親なのか 親戚なのか、人によって様々だと思いますけれども、その非行をしてくれている大人たちもどこかで 教育を受けてきたという、そうしたねことでありますから、通常であればそうした義務教育というものも経ていると思います。

その間に、誰かと比べるようなですね、仕組みの中に入ってるわけですよ。あなたもね、私もそうでしたけども、 部活であれ勉強であれ、何かで他人と比べるような状況が状態化されてますよね。
成績が何位だとか部活の順位が何位だとか、その組織の、組織というか、

クラスという形、もしくはチームメイトという形、同じ 部内の人たちというか、そういう1つの枠の枠の中でも、さらに競争がありますよね。
優秀であればあるほど、お硝酸も受けるし、上位であるという優越感もあるし、自信と誇りと、

そうしたものにも繋がっていくと思います。それ自体は悪いことではないですから。
会う人であればね、存分に活用していけるし、仕組みになってるんで、別に悪いことではないんですけれども、この誰かと比べるという習慣 をですね、身に着けてきているわけです。ただ、このコミュニケーションを取るという部分において

誰かと競う必要がありますか。ないですよね。全国コミュニケーション 能力ランキングみたいなのがあればね、狙っていくとかそういう人もいる、いるかもしれませんけれども、そんなものはないわけですよ。
一般的な生活を送る上で身近な人とこうコミュニケーションを取る、人間関係を作っていく、

会話をする、そうした中で誰かと比較する必要は全くないわけです、 比較をするとですね。もう冒頭にも言いましたように、誰かと比べると、それにあっていると感じると萎縮をしてしまうような こともありますから、そうすると発言ができない、言いたいことも伝えられない。そして、どんどん口数が少なくなっていって、

人とコミュニケーションを取るということが少なくなってきて、いつの間にやら誰とも話さなくなっている。人間関係も 随分と希薄になっている。そうなっていくようなね、1つの原因にもなるわけです。
この比較をするというのはね、私も散々言ってますけれども、この比較というもの、コミュニケーションにおいては

不要なものなんです。という比較はですね、他人とするものではなくて、自分自身とするものですから。
なのでね、もし仮に、あなた自身が誰かと何かを比較するような傾向が多いなと。もし、そういうことがあるのだとすれば、 根本の原因を考えてみるのもいいと思いますよ。なんで私は他人と比較をするんだろう。

どうして比べたがるんだろう。そのですね、答えというもの。これが1つ。答えというもの。仮にこれがあるんだとすると、 それを見つけられるのはあなた自身なんだ。参考になるかはわかりませんけれども、 私はですね、この他人と比較をすると萎縮をするなということに気づいた時に、

なぜ自分は他人と比較をするんだろう。というようなことをですね、思った。思った時、それは、 私の中に軸がなかったからなんですよ。
自分という自分が何をしたいのか、どういう考えを持っていきたいのか、そうした自分自身の軸というものがなくて、常に

相手に合わせるというかね、表ではいい顔をするけれども、裏では人の悪口ばかり言って、そして、現実と現実と 外と内側の自分がですね、解離していたんですね。そうした醜い内側の自分が露呈しないように、誰かと比較をして、 その比較をした相手にこう合わせていくというようなことをしているんだなと気づいたわけです。

そうするとね、本来の自分というもの、相手から見たらそれは本来の自分なんですけれども、自分自身の思う自分というものと お外で表現をしている自分に返りがありすぎるなと、そうしたことで半ば萎縮をしているんだなと。
であれば、自分の軸を持とうと思ってね、その仲間、一緒にしていこうというようなことをやってきたわけですわけですけれども、

これはもうね、あの人それぞれですね。なので、あなたも、あなたがもし仮に誰かと比較をするようなことがあって、それに付随してコミュニケーションが あおになってるなということがもしあるんだとしたら、なぜ比較をするんだろうという、そうしたことですね、 考えてみるのもいいと思います。

そもそもはね、その誰かと比べるように教育を施されてますので、比べるというその根本の部分、そこはそういうことなんですと。
あとはね、競争心があるというのは悪いことではないんで、それが合う人であれば悪くはないですから、活用できる人は存分に活用したらいいと思います。
これをしたがる人もたくさんいますから。目的になってる組織もありますよね。ビジョンとはまた違うもので、風土というか、

みんなやってるよとかね、あの人はこうだよとかね。
三者から比較をすることを半ば求められるというか。私自身はね、そういうこと聞くと、だからって思うんですよ。
だからなんでしょうかという。はい。ということでね、この比較をすると萎縮をしますよと、これは経験があると思いますから、

そうしたね、比較をする、これは誰かとではなく、自分と自分を比較してください。
他人と比較をするということが合う人はそのまま活用していけばいいと思います。

ということで、今回は以上となります。最後まで聞いていただいてありがとうございました。