未 ルールについて

どうも丸山です。まずはおめでとうございます。
ということで今回は「ルールについて」というテーマで話をしていきます。

 

はい、ルールですね。

決まり事というか、こうしたことは守りましょうねというように定義されているルール。
これに関してね、常にね、うん、思ってることなんですけれども、試験です。個人的な考えなので、 その点はご了承いただければと思うんですけれど。毎回ね、そうなんですけど、特にね、このルールというものについて、

コミュニケーションですね、かす、そうした状況において、このルールというものがマインドブロックになっているという、 そうしたケースもありますので、1人のね、1人間の考え方として受け止めてもらえればと思うんですけれど。
あなたがね、好きか嫌いかというところはあると思うんですけど、私自身は、このルールというものが嫌いで。

それはなぜかというと、自分自身の人生なのに、どこの誰が決めたかもよくわからないことに対して、 それを正しいと思えない、いいと思えないのに従わざるを得ない、その状況も、そういう場面がですね、もう嫌なんですよ。
だから、こうしてね、1人でやってるっていうところはあるんですけれども。もちろんね、そのルールというものが

大事だというのも理解はしてますよ。 組織だとかコミュニティだとか、人が集まっていく国もそうですし、その人間が集団生活を行う上で、何か 決まり事を掲げて、ルールというものを作って、秩序が乱れないように統制を取るという、そうしたことは非常に

有益な、有意義なねことであるというのは理解をしてますから、ルールはあって然るべきだと思います。そこに関して 従うのか従わないのか、そのルールを良しとするのか良しとしないのか、そうしたことはですね、ま、1人1人の 個人に委ねられて然るべきだと思います。あなた自身も今まルールに

従っているのか、従ってないのかわかりませんけれども、少なくとも、国という組織に 所属をしている限りは、法律という名のルールがありますから、当然、人間をね、こう統制するっていう上でも、 そして、社会をですね、円滑に回していくという上でも、どこかの誰かが、何かを元にして決めた、

そうしたね、ルールがあって、それに所属をしているということは、従っている、 従ざるをねまえないという、生きていく上では、1人1人、1人で、こう生きていくことはは難しいですから、そうした環境においてはね、それは仕方のないこと だと思いますし、私自身も、それは守るべきものだという風にね、認識はしております。で、その1個人で

変えられるものと変えられないものとはあると思うんですけれども、 そうした大きなくりの中にあるルールというもの、そのフレームを例えば私の、私一個人が変えるということは、それはできないことです。
それはわかってます。であるならば、そのフレームの中でさらに自分のフレームを作って、その自分で決めたルールに沿って生きていこうという、

そうしたことはできるわけですよね。それをやろうとして、ルールというものを基準にしたのかわかりませんけれども、会社だとか 企業というものがそうしたものになっていて、そしてその企業を始めた人というのが必ずいるわけです。
それは1人なのか、もしくは何人かで、より、より合ってなのか、場合によると思うんですけれども。

つまり、ルールの、国という大きなルールの中で引いたよね、国際状況でのそのルールという中での 1個人、人間の、その中にいる個人個人で、ルールがですね、こう作れるということなんですよ。で、もし仮に そのルールというものが好きか嫌いかで言ったら、嫌いかなと。ただ、今、えいえ、従ってるなというようなね、そんな状況にあるとすれば、

それでもいいというならいいんですけれども、嫌だけど 仕方ないから、人間っていうのはね、そういうもんだから、大人っていうのはそういうもんだからとか、そういう風にですね、諦めてしまっている人、 もしいたとするならば、そのルルというものが嫌いで、ただ、今の状況からだと、あなた自身が思うことで、

じゃ、今、その場からはこう変えるのはちょっと難しいかという風に思うのであれば、さらに、その中で、小さなフレームを作って、自分のルールというもので生きてみてはいかがでしょうかという、 そんなようなね、ご提案ですね。ご提案っていうとあれですけど、いわゆるですね、ルールを作る という人と、その作られたルールに従うという人がいます。これは

国を見てもそうですし、会社という企業組織を見てもそうですし、どこかの誰かが発起人となってそうしたルールを作る という。作ったルールに対して従うのか、それともルールを作るのか。
これは正しい組織であればあるほど、私の思う正しい組織であればあるほど、作った人は自分で作ったそのルールに従う

ことを良しとしてるんですよ。それは作った人自身がそのルールに沿って行動をするという。
これが実行できている組織は非常にいい組織だと思うんですけれども、これを2減して考える人もいますよね、ルールを作る側と作られる側というものが。
で、作る側は、どんなルールを作ってもいいんだ、正しい自分を守らなくてもいいんだ、それに従う人間が自分の作ったルールに対して従って

動いてくれればそれでいいなんていうのね。こうした捉え方をする人も中にはいますし、 誰かが作ったルールの元でもいいから、自分はそれでも幸せだから、ルールに従って、 考えなくてもいいことは考えずに、頭をね、思考停止させて生きていくんだっていうような、何も考えずに生きていきたいんだっていうような、

その人は考える人もいると思います。全て正しいんですよ、それは。私から見れば、 いや、それはどうかなと思いますけれども、その人たちからしたら、それは正しいことなんでね。それは、本当にそう思ってるんであれば、 それは別に否定もしないですし、肯定もしないです。好きにしたらいいと思うんですね、その個人個人が。

私の思うそのルールというものに関しては。1回きりのね、こう人生の中で、限られた人生、 そうした中で、もちろん大きなことを考えるのは偉いことですよ。
偉いというか、すごいすごいことというか。自分1人という人間の枠を超えて、家族が、組織が、

国が、世界が、こうした壮大な思いを掲げるというのは素晴らしいことだとは思ってます。
それ以前に、1番ミクロンの単位で考えた時に、まず最初に出てくるのは、 あなたという個人の存在じゃないですか。その個人の存在が、

うん、自分で自分のルールを作って、それに従っていけるという、そしたらですね、ことが いいことだと思うんですよ。そうして自分自身が自分の従ったルールに沿って生活をしていく中で、 その次に1つステージが上の状況から物事を見ることができるという、

自分自身のことをですらないがしろにしていて、自分で決めたルールを守らずに他人にだけを守らせるというか、 そうしていく人も結構多いんですよ。よく見るというか。それなのにも関わらず、組織がどうとか 国がどうとか世界がどうとか、そんなこと言ったって説得力がないですし、まず自分のことを、

まず自分自身のことをしっかりできてないんじゃないかという。0段階段があるとすれば、 1段、2段、3段目も自力で登ってないのに、いきなり4段目にジャンプして上っていきましょうよって言ってるようなもんで、それはできないですよ。
だからこそですね、そのルールというものについて、このルールというものについては私自身は嫌いなんですけれども、

うん、だからこそ、そうした決められたルールの中で変えられないルールというものは必ずありますから、生きていく上ではね。
それは妥協するんではなくて、その変えられたルールの中でさらに小さいフレーム、枠組みとして自分のルールを作って、それにまず従って生きてみるという。そうして だんだんと大きくなって、広い視点、広い視野、そうしたね、状況でこう物事を判断していけるようになるという、

それを繰り返していくと、コミュニケーションに限らず様々なマインドブロックがですね、外れていくという、 そうした現象もだんだんに起こってくるものですから、こうしたこのルールについてというところ、 ルールに合わせた状態というのは、あなたの本当に望んでいるような人生なのでしょうか。まあ、なんですか、

老後とか言うじゃないですか、いい余生を過ごすためというかね。その老後って、いつ、いつからなんですか。いいよせっていうのはいつからなんですか。仮にあなたがね、 60、70、80だとしても、わからないです、そのぐらいの年齢の方がね、こう聞いていただいてるかわからないんですけれども、 もっと若くても、いくつであっても、その今が1番人生で若い時なんですよ。私もあなたも、

今この瞬間が人生で1番若い時。何かをするのに早いとか遅いとかなくても、今からで いいじゃないでしょうかというね。今からやればいいんですよ。なんでもルールというものが好きであればね。それは好きなままでいるという、それは 非常に綺麗な魂ですから、そのまま生きていったらいいと思うんですけれども、このルールというものが着いたという状態で、でも、いやいや、従う

生活もあるし、思うこともわかります、 変えたいと思うんであれば、本当は嫌だと思うんであれば、それは今この瞬間からこうしたですね、こう考えが、 自分のルールを作ってそのルールに沿っていけるという、そういうなことをですね。こうしていくと、だんだん視野が広くなっていって、

マインドブロックも外れて、そんな状態にね、なっていくんじゃないでしょうかという。はい。
ということで、今回は以上となります。最後まで聞いていただいてありがとうございました。