綺麗事

どうも、丸山です。まずはおめでとうございます。

ということでですね、今日は綺麗事というようなテーマで話をしていきます。

綺麗事、好きですか。私は大好きです。はい、綺麗事ね。

やらぬ善よりやる偽善なんていいますけど、それを思い浮かべてそれって綺麗事だろうっていうようなね、いわゆる偽善だろうっていうようなことで使う人もいますよね。

 

綺麗事っていう言葉自体に良い意味を持っていないと思う人多いんじゃないでしょうか。調べると表面だけを取り繕う、体裁だけ整えるみたいな意味が書いてあって、それが一般的な解釈なんでしょうね。

もっとシンプルにもっと単純に考えて綺麗っていう言葉、これはいい意味ですよね。

綺麗な部屋、綺麗な家、綺麗な車、綺麗な人、これいい意味で使うじゃないですか。

で事。ことはことですよね。

 

シンプルに綺麗事って、もう綺麗ですよね。それこそやらない善よりね、やる偽善の方がいいじゃないですか。これって偽善だろうが善は善なわけですよ。それを綺麗事だと、偽善だと決めるのは誰ですか。

 

当然これはやってるその本人ですよね。本人自身がこれは偽善だと思いながらやらないじゃないですか。いいことしてるなと思ってやるわけですよ。

それが自分のためであれ相手のためであれ、いいことですよね。

もし仮にそれが偽善だったとしてもやり続けることで本物の前になっていくんですよ。

 

ある青年の話で、ずいぶん昔、心の器が最下層にまで落ちていた人がいまして。

例えば24時間テレビとかあるじゃないですか。

この24時間テレビの、例えば障害のある方たちが芸能人と一緒に歌ったりするじゃないですか。チャリティーイベントで募金してくださいっていうようなテロップ出して。

当時青年はそういった慈善活動だとか良いものを見ると、もう反吐が出るというようなね、もうこんなのは偽善も甚だしいと、どうせこれで得する人がいるからショーとしてやってるんだろうと。見世物にして、美男美女がぞろぞろ寄ってきて全国に垂れ流して、結局裏で動いてんのは金だろ、しょうもない。みたいなね、腐った考えをしてたわけですよ。こんなのは綺麗事だろうと思ってたんですよ。

 

まさに調べた通りの意味で使ってたんですよね。綺麗事っていうのは、取り繕ってる上辺だけ偽善だと。今その青年に会ったらそれは違うぞと、それはお前が本当にわかってないだけで本当に心の底からいい人はいるんだというように説教したいくらいです。

 

そこでですね、綺麗事って言葉を聞いたときにあなたは何を思い浮かべますかっていうようなことです。

あなたが普段やってるいいことって何ですか。あなた自身がいいと思ってやったことはそれはもう綺麗事だと思ってやってないですよね。綺麗だからやってるんですよね。

 

例えば私の場合、いい人間関係の人が増えてほしいっていうような思いだとか、このコミュニケーションの技術を向上させることによってより良い人生、より良い考え、豊かな人間関係、せっかく一度きりの人生ほとんど全ての悩みは人間関係なんだと。だとしてその人間関係をうまく円滑にするっていうことの一つとして、コミュニケーションというものがあるんだと、そのコミュニケーションっていうのは技術で向上させることができるんだっていうことに気づいたわけですよ。それを伝えていきたいっていうこと。これはもう綺麗事なんです。これはいい意味での綺麗事だから、綺麗だからやりたいと思ってやってるわけですよ。ただこれを当時の昔の青年みたいな人が見るとですね、曇ったフィルターを通しての意見が出るんですね。

 

そういう人ってのは、合う合わないもありますし、まだこの段階に至ってない人っていいるんですよ。順番があるので、いい心持ってない人がいきなりジャンプして善なる心になることってできないんですよね。必ず順番が段階があります。

そのひねくれてた青年はですね、あるとき変わらないと駄目だと思い始めて気づき始めて学びを始めてから毎日何かの情報に触れて、自身の変化に気付くのに6年かかったんです。それほど心が醜い人が良い方向に行くには時間がかかることなんですね。

 

ただ、これを読んでくれているあなたは既に心が善であるだとか、そもそもそんな醜い心なんか元からないからそんなこと言われても困るみたいなね人なんだと思います。

一応ね、届かない人には届かないっていうことはわかってはいるんですけど、まだこの段階に来てないっていう人に届かないっていうのは確かにわかってるんですけど、そういう人にこそ変わっていってほしいっていうように思うんですよ。

こんなに素晴らしい世界があるんだっていうね、この想いっていうものをですねちょっと今回綺麗事っていう言葉に絡めて話をしたかったんで。

 

なんでね、綺麗事、これは取り繕ったり表面だけやったり、その調べた通りの意味のことではないと私は思ってます。綺麗事はやったら綺麗なんです。やればいい。

やっても善やらなくても善ならやれとね、いいと思ったことはやった方がいいです。

人目を気にして、他人がやってないからとか、そんなの関係ないです。

いい行いを続けていったら本当に心からよくなるんでね、それはもう保証します。

 

ということで綺麗事、以上となります。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

※音声配信したものを編集して文章にしてます。ご興味ある方はSpotifyで検索していただくか時折埋め込みしますのでよろしくお願いします。