常識という鎖

どうも、丸山です。まずはおめでとうございます。

ということで今日は常識という鎖というようなテーマで話をしていきます。

常識に縛られるな、常識を疑え、っていう表現ありますよね。鎖です。

多くの人はこの鎖に縛られています。だからこそ常識が常識となっているんですけどね。あなたにとっての常識は何ですか?

 

常識というもの、これはですね、私なかなか嫌いです。

日本人だけではないですが、日本人ってとりわけみんなと同じが好き。みんな一緒、みんなやってるから、みんなそうだから、なんてこと好きな人が多いじゃないですか。

この常識っていつから身につきましたか?

いつから何を常識だと感じるようになりましたか?

 

生まれたばっかりの赤ちゃんに常識があるかって言ったらないですよね。

何の知識も、ましてや自我もないわけですから。常識っていうものは生きていく過程で誰かに教えてもらってるわけですよ。ではその教えてくれた人は誰から教わったんですか?つまりですね、教えられたことをそのまま常識としていたら、あなたの意志ではないということです。

 

知らず知らずのうちに世間と仲良くするようにと教えられて集められた人たちと共同生活をするようになって、多くの人は同じように教えられてますからその共同生活内での

日常が常識になっていく。その方が都合がいいんですよね。これは残念ながら奴隷の作り方と同じです。大丈夫です、この違和感は記事の最後には払拭されますので。

 

子供のときはまだ常識という観念が薄いので染まりきらないんですね。

大人になってから、社会人になってからの常識という方が色濃いです。

企業、政治、宗教、お金、一つの考え方に染まる機会が増えますよね。

 

全然悪いことじゃないんですよ。むしろ素晴らしいことだと思います。

一つの会社に長く勤める。ブレずに一つの政党を支持する。信仰心をもって一つの宗教を指針とする。何かのことを一つ続けられるっていうことは能力ですから、一つのことを長く続けるっていう、これはもう本当に素晴らしいことなんです。

その上で、そういったところに長く身を置いていると「その組織の常識があなたの人生の常識」になってしまうというようなことが起こりかねない。そういう人達たくさん見てきました。

周りが見えなくなるというか、そもそも知らないんでわからなくなっているということにすら気づいてないっていうような事態に陥るわけですよ。

その組織の常識って誰が考えたんですか?それが気付かぬうちにあなたの人生の意思決定全ての基準、常識になっていると思うと恐ろしいことですよ。

 

こんなこと言って、お前はどうなんだっていうようなところなんですけど、元々は一つのね、いわゆる新卒と呼ばれる状態で入った会社には3年勤めてたんで、そのときはもうそこしか知らないわけです。その後企業としては七つ経験してるんですね。いろんな企業でいろんなことやってきたんですけど、会社員っていう形で働いたのは七つあります。良い悪いっていう意見はあると思うんですけど、私は個人的には多くのことを経験してきてよかったなと思ってます。

ただ、だからこそ、一つのことを長く続けてこなかったからこそ一つのことを長く続けられる人っていうのは本当にすごいなと思いますし素晴らしいなと思います。

 

コミュニケーション、会話、人間関係、本来何の常識もなかったはずなのに、あなたではない誰かが考えた常識に縛られて視野が狭くなる人が多い。

常識を作る人、作られた常識に従う人。個人の自由ですが、本当にあなたが決めたことですか?

 

常識という鎖から解き放たれるには、複数の常識を理解することです。常識といわれているものは誰かが作ったものなんだと気付くことです。いろんな角度から情報を見ることです。両極に立てる考えを持つことです。

 

ブログを読むような方はやってると思うんですけど、本を読んだりオーディオブック聞いたり、いろんなことを知るっていうことがね、大事なんですよ。私自身500冊以上読んだり聴いたりしてるんですけど、いろんなこと知れるのって楽しいじゃないですか。学びに終わりはないというか楽しいから終わらせたくないのでインプットも継続してるんですけれども、常識というものに縛られて視野が狭くなってしまう。その鎖に縛られてる人が多いなというように感じるわけですよ。

 

じゃあどうするかっていったら、今、常識という鎖に仮に縛られてるんだとしたら、本を読むことです。月並みですけど。

これ本当にそうなんです。もう本当にそうなんですよ。日本人の何割がどのくらいの期間に何冊読んでるなんてデータがありますが、そんなことは関係ないです。

あなたが読むんです。

 

これは有名なねアインシュタインの言葉ですけど、常識は18歳までに得た偏見の塊であるなんていうのはね、こんな感じでしたっけ。はいあるじゃないですか。

本来1人1人全く同じ考え方の人なんていないはずなんですよ。

常識、これを一つの知識、一つの組織、一つの情報こういうものに縛られないで、いろんな角度から仕入れましょうとね、いうような、これもその一環として捉えていただけるといいと思います。なんでね、その常識という鎖というようなところで、これは大人になってから一つの組織に長いこと属していると、その組織の常識があなたの人生の常識になりかねないということです。

それでもいいっていう人はね、本当に心の底からそれでもいいなんて人はいないと思うんですよ。年齢を重ねて半ば諦めるようにもういいよって感じでくたびれないでください。人生で一番若いのは今です。

 

あなたの人生なのに、誰かが決めたことですよ。その組織の中の常識ってのはいわゆるルールっていうものは組織を起こした人、もしくはその起こした人たち、決定権のある人たち、人が作ったものになぜ従うのかっていうね。

そればっかしや広がりがないじゃないですか。誰かが決めたこと、誰かが言ったこと言ったら法律なんかもそうですけれども、法律はね、大事ですよ秩序を守る上でルールがないとね、人は獣になるっていうようなことなんで、ルールはすごい大事だと思うんですけど、国家で扱ってるこの法律だとかそういったものも結局のところ人が決めてるわけですよ。

もういつの時代だか、法律ねこれはもうあの大事なんでこれは守るべきなんですけどもそういうことを意識してみるっていうのもいいと思います。そのときにはね、今ある状況常識にとらわれることなく、どうこうするとかじゃなくて、そうだなと。

思い考えてみたら、そりゃそうだなと。一つの組織に属してれば一つの考え方にもなるし、いわゆる国家というものですら、誰か人が考えたものであって、つまるところその誰かの常識の集合体なんだなっていうようなね、常識個性の集合体なんだなっていうようなことをね、思うだけでも、考え方っていうのはね、変化していくものなんで、何にでもそうなんですけど、気づくことなんですよ。この気づきって非常に大事ですから。

 

気付いた上で、必要であるならば技術をもってあなたの意志で常識というものに合わせてあげてる、ということを理解することです。

 

ということで常識という鎖というようなね、テーマで話をしてきました。縛られないで。

 

今日は以上となります。最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

※音声配信したものを編集して文章にしてます。ご興味ある方はSpotifyで検索していただくか時折音声埋め込みしますのでよろしくお願いします。