逆説

ポッドキャスト配信したものをAI文字起こしでそのまま垂れ流してます。
Spotifyなどで「コミュニケーション」と検索してみてください。

 

どうも丸山です。まずはおめでとうございます。
ということで今回は「逆説」というテーマで話をしていきます。


はい、逆説。逆さまと説という字で逆説ですね。

いわゆる反論。相手が言ったことと別の意見を言うというような時に、 あなたはそうは言ってるけど、私はこう思いますよというようにですね。違う意見を述べる時に どのように振る舞うかというようなことですかね。誰かとコミュニケーションを取る際に、

相手の言っていること、それをあなたの思うことと別の意見だとして、 違うことだとあなたが思った場合に、私はこう思うけどなと。なぜなら、これこれこうだから、このようにですね、 言いたくなるような時もあるかと思います。ストレートに相手の言ったことを否定しにかかったり、

違うと断言をしたりだとか、逆接層を唱えるというようなこと。通常の生活においてこのようなことは 好ましいものではないかと思います。いわゆるリベート議論ですね。そうした 場において、様々な意見を1つのテーマに対してあらゆる角度から出して話し合うだとか。

企業で言ったら会議なんかもそうですかね。その状況においては、逆説というものを提示して、より その空間にいる人々の思考が広まる、もしくは深まる、 そうした状況であれば、この逆説というものを、ストレートにですね、私はそうは思わないんですけれども、これこれこういう理由でね、

それについてどう思いますかというように 言った方がね、分かりやすいですけれども。日常の会話において、あなたが誰かと何気ない会話をしている時だとか、 優劣だとか良し悪し、そのようなものを決めるような場ではなくて、普段の会話の中においてですね、

これも習慣の癖ではあるんですけれども、や、でも、だって、しかしこうしたあなたの言ったこととは 違いますけどねというように逆を言うような言葉、こうしたものをですね、言うと、多くの人は 違和感を感じると思います。なんで否定をしに来るのというんですね。

その愛体している相手との間に不協和音が流れるというか、そうした空気感ですね、 あると思うんですけれども、そうした場合において、とはいえ、自分はそうは思わないから というような意見を述べたい時に、相手が言ったこととの逆の説を唱えたい時に、あることをしているとより

ひどいような状況になるので、あることではなくてこのようにしましょうというようなものがあるんですけれども、 そのあることというのはですね、どこどこの誰々がこう言ってるから、だからそれは違うと思うよ、 だから私はそう思わないな、そのようにですね、今あなたがコミュニケーションを取っている相手、そしてあなた、

もしくは他の人もその場にいるかもしれませんけれども、その場にいない人がこういう風に言ってるから、だから私はそれも違うと思うよというようなことを 伝える、こんなことを言う。これはですね、相手からすると、自分の意見でもないのに、 なぜどこかの誰かの話を持ち出して、今私が言ったようなことを否定しに来るんだろうと

いうように思われかねないというようなことがあります。逆説を唱えたい時に、 自分の意見ではなくて、どこかの誰かがこう言ってるというような。今の時代はですね、どんなことに対しても、 何かの意見に対して逆を唱えてる人はいると思います。調べればね、すぐ出たりだとか、は見聞きするだとか。

これだけ情報が行き交ってる現代ですから、逆を唱えようと思えば、いくらでも唱えられるわけですよ。
それは、外部から情報を拾ってくれば、相手の言ったことに対して違うというようなことを言えるわけですね。
このようなことをですね、押してしまっているというように思う場合には、これはあまり使わない方がいい手法ですね。

いわゆるソース、情報源、これがどこだとか、通常の会話、日常のコミュニケーションにおいては 学者さんだとかね。そのようなことでもない限りはどうでもいいことじゃないですか。あなたが言ったことに対して、私は違うと思う。
それは、どこどこの誰かがこのように言っていたから、あゆる否定癖のあるような場合だとかね、自分の方が正しいというようなことを言い、

ガチな場合には、どこかの誰かがどう言ってたからこうだよと。仮に、逆にね、あなたがそのように言われたら どう思うでしょうかと。だから、なんでしょうかという風にですね、思うと思うんですよ。でも、それってあなたの意見じゃないじゃないと、 それなのになぜ私のことを否定するのというようにですね、思うようなことがあると思います。

ですので、仮に、相手とですね、相手が言ったことに対して何か違う意見があるなというような場合には、 言うのであれば、自分の意見を言うということです。
それ以前にね、相手が言ったことに対しては肯定をして受け止めて、相手に聞いてもらえる姿勢を整えてから自分の意見を言うといういうようなことがあるんですけれども、

相手が言ったことに対して違う意見を言いたい、逆の意見を述べたい、自分はそうは思わないから、であるならば、 どこかの誰かが何かを言っていたからということではなくて、私はこう思うというようなことですね、 言った方がいいと思います、見方によっては。

そして、第三者、いわゆる今その場にいない人、別の情報源を引っ張り出して言うことによって、 逆説を唱えるにも関わらず、私には非はないと。なぜなら、このようなことを言っているとある有名な人がいるから。
虎の威を借るなんて言いますけれども、第三者の権威性を借りるというようなことはですね、特定の場面においては、

重要なことにですね、こうなるようなこともありますし、例えば、私もそうしたことを引用することはあるんですけれども、 こと日常のコミュニケーション、会話というものにおいて、逆説を唱えたいという場合に、あなたが言ったこととは違う意見を話しますよという場合には、 どっかの誰かがなんていう話を持ち出したところで相手との関係性を悪くするだけですから、必要のないことですよね。ただ、こうした

週間というもの、ませというもの、とりわけ仕事なんかで、そのように第3の情報源があった方が より説得性が増すというような、業務にですね、携わっている場合には、それが癖となってる場合がありますので、習慣となってる場合がありますので、 日常とですね、そのような場面においても、ひょっとすると使ってしまってるかもしれない。

これは確かにこう牽引性を借りてきて説得力はありますが、 逆を唱えた私に対して攻撃性を示さないでねというようなことと同時に、その発言に 責任を負わないように、あえてこう防御を固めているというような、そのようにもですね、こう捉えられるわけです。であると、

あなたとあたしてる相手からすると、今はそのような場ではないですよというよりですね、思われるようなね、こともあるかと思います。
ただ普通に話をしているだけなのに、なぜか否定をされる。
しかも、その否定、逆接の唱え方が、自分の意見でもなくて誰かの意見だというような、なんなんだろうこの人はというようにね、なりますので、

つまりですね、何が言いたいのかというと、逆接というようなこと、こうしてですね、日常会話において、話をしている相手に対して 逆の意見を言いたくなる場合があるというようなことが発生した場合に、どこかの誰かが こう言ってますよというようなことを引き合いに出していませんかというようなことで、これは相手からすると、

どこかの誰かなんてどうでもいいですから、情報源がどこだとかそんなことはどうでもいいですから、言うのであれば自分の意見を言うというようなことですね、 主体性をですね、持つと、このように逆説を唱えたい場合においても、 どこかの誰かが言ったからというよりかは、私がこう思うからというように、真っ向から、自分のですね、こう意見を述べるようなことが

できるようになります。はい。ということで、今回は以上となります。最後まで聞いていただいて ありがとうございました。