みんなやってるのになんでやらない?

ポッドキャスト配信したものをAI文字起こしでそのまま垂れ流してます。
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どうも丸山です。まずはおめでとうございます。
ということで今回は「みんなやってるのになんでやらない?」というテーマで話をしていきます。

 

はい、みんなですね。あなた以外の全員の意思は。ほとんどの人がやってるのに、なんであなたはやらないの。
このようなねこと。これは2つの視点がありますね。これを言うのか、言われるのか。
みんなの側なのか、やらない側なのか。片方の思惑だけを理解するというよりかは、

2つのですね。視点があるわけなので、どちらの意見も分かっておくと、 あなたがその時々、みんなの側になるのか、もしくはやらない側になるのか。内容によってもね、変わってくると思うので、 その時に、自分と違う意見があるからと言って、

相手をないがしろにしないようにできるというようなことですかね。
誰しもね、自分と違う意見、考え方、そうしたことを言われると、本能的に反感だとか、 反論だとかするようなねことがあります。その上で、

みんなやってるのに、なんでやらない。というようなことを言った時に、仮に相手がやらないということであれば、 なんであの人はやらないんだろうというような、仲間、仲間はずれにしようとかね、村八分にしてやろうとかね。
そういう、みんなの側で、こう結託をするというような相手の気持ちを理解をしない場合には、そのような

行動に移るかもしれないです。また、反対に、これを言われた側ですね、みんなやってるのになんでやらない。やらない側の人としては、 こちらも同様にやらない側でコミュニティを形成するかもしれないですし、やらないのが単体であれば、 あなた1人であった場合には、疎外感だとか孤独感、こうしたものをね、感じるということもあるかもしれないです。

どちらかの意見の人が優れているとかいないとか、偉いとか偉くないとか、そういうことではなくてですね、どちらの 主張も正しいわけです。それは言ってる本人からしたら正しいと思うからこそそうしたスタンスを取るわけで、 どちらを責めるでもなく、どちらを正解だというようなことでもないんですね。そうした中で、それぞれの側が

何をどのように持ってるのか。これはですね、まずみんなのがですね、みんなやってるのになんでやらないと 対象の人に向けて言うがですね。みんなというのは誰を指してるのか。仲間だとか、 周囲だとか、コミュニティの中の人だとか、ある組織の中の人だとか

なんですか。企業であればね。組織の規模によっては違うと思いますけれども、同じ部署内、同じ営業所、 同じ役職、同じ職種、似たような車歴、このようなね。
何かみんなと言う側の人たちにとっての共通点、こうしたもので集団を取っていく中で、

その同じ集団だと認識をしているにもかかわらず、その中でも やらないというような、みんなその組織の中の人がやっていることをある特定の人もしくは一定の人がやらないという場合において、 基本的にはマイノリティとマジョリティで数が多い方ですね、数が多い方がみんなという側になるわけですね。

国家であってもそうですよね。国の中でも多い方が少ない方をみんなの側ではないというようなことで くる。あそこに対しての、なんでやらないのというようなことを言う。どんな小さなコミュニティでもね、 3人以上よれば、そのように、みんなとそうじゃない側ということが発生するんですけれども、みんなという側もね。

いわゆる言葉の通りではないんですけれども、集団戦脳というものがありまして、 その集団性脳にかかっていることに気づかずにそうした発言をしている場合もあれば、ひょっとすると 何かしらの組織にね、所属をしている場合には、

その組織のルールに従うのは当然だろうと。その中で決めたルールに対して、なぜあなたは言うことを聞かないのか。1人だけやらないというのか。
合にってはね、幸に従えという言葉がありますけれども、そうしたことを思っているかもしれません。和をもって尊しとなすというようなねことありますよね。
場というのは、そうしたグループ、1つの組織体、みんなということにも通ずるかと思います。

そうして、そのやらない側の人、人のことを、ちょっとおかしい人だとか変な人だとか、そのようにですね、位置付けて、 適しをして、いわゆるスケープゴートとして活用するというような、そんなようなこともあるかもしれないです。反対ですね。
なんでやらない。と言われた人。これはですね、コミュニティー組織の中においては、複数人というよりかは個人の場合が多いですかね。

やらないという側の人は何を考えてるのかと。単純にみんながやってることをやりたくないと 思っているかもしれないですし、誰かの言うことを聞きたいと思っていないだとか、その組織にね、例えルールがあったとしても、 私は私の意思で決めたいというようなねことがあったりだとか、群れるのが好きでないとかね。誰かがやるんなら、

やる人がやったら。というようなこともあれば、もしくは、その組織を離れようとしているか、 そのようなですね、ことを考えてるかもしれません。なのでね、今後、みんなやってるのにっていうように、 なんでやらないんだというようにですね、思ったり、言ったり、言われたり、そのような状況に出くわした場合には、

片方の視点から、自分たちとは違う、自分とは違う考えを持っている相手は間違いだ、敵だ というように決めつけるのではなくて、何か考えがあるんだろうなというようなことをですね、お互いに思う。
どうした経緯があって、そのようなことを言うようになっているのか、相手は何を考えているのか。このようなことですね。

お互いに話し合ってみると、もしかすると歩み寄れるというようなこともありますよね。
なので、いずれがあっている、間違ってる、そういうことではなくて、どちらも正しいですから、その側のね、 視点に立ってみると。そのように何か

現象が起こったとしても、いずれの視点からも物事を考え、考えられるような姿を高めていくといいかと思います。
個人的にはですね、基本的にみんなの側には加わりたくないと思うんですね。私は。
たった1回のね、人生で、どこかの誰かが決めたルールに従って生きるのは面白くないと。

みんなというよりかは、なんでやらないの。と言われるような側で、多々そうしたこともですね、あったんですけれども、 だからなんですかというね、そんなようなことをね、思う時期もありました。ただ、これはね、 何かの、生きてる上では、どこかの組織にね、所属をするようなことにはなるかと思うんですけれども、その単位を広げてみて、

何かの組織に所属をするのか、はたまた創造をするのか、作るですね、創作の方で 想像するのは、なるべく何かしらのルールではあるけれども、その中で、 自分で決められることは自分で決めたい。自分で作ったルールのもとに人生を送りたい。そんなようなね、

非常に我の強い、言い方によってはね、自分勝手でもある、そうしたね、人間なので、 離れたこの、みんなやってるのにね、なんでやらない。というようなことをね、言われてきたんですけれども、その時に、相手を憎むばかりで、しょうがないと。
自分が思ってることを考えられない人はしょうもないなと。そのようにね、

突き放して、問題から逃げることは簡単なんですけれども、それではね、人格がですね、成長していかない、 魂が磨かれていかないので、このいずれのね、視点も知っておくといいというような考え方をシェアしました。はい、 ということで今回は以上となります。最後まで聞いていただいてありがとうございました。