拒絶に対して

ポッドキャスト配信したものをAI文字起こしでそのまま垂れ流してます。
Spotifyなどで「コミュニケーション」と検索してみてください。

 

どうも丸山です。まずはおめでとうございます。
ということで今回は「拒絶に対して」というテーマで話をしていきます。


はい、拒絶ですね。人から拒まれたり、拒否されたり、

嫌われたり、こうしたことに対しての考え方、人間関係、 そういったところですかね。こうした拒絶を受けたことがないということは、なかなかない。
ないというか、仮にあなたが拒絶を受けたことがないのであれば、そもそもコミュニケーションに関して同行しようと思うようなことは

ないかと思います。ですので、1度くらいはね、そうした拒絶事を受けたことがあるというような ことを仮定してですけれども、拒絶をですね、されると辛いですよね、苦しいですよね。
時には腹立たしくなるかもしれませんね。悲しいかもしれません。これらは、なぜこうしたことを思うのか、

こうしたことを思っているのは誰なのか。仮にこのように感じてしまうことがあるのであれば、それに対して どう対応すればいいのか。そんなようなところで 何か拒絶をされたという場合に、まず第一に思ってほしいのは、

外敵要因で自分のことを評価しない、まずこれを思うということ。
この拒絶をするという行為それ自体が、自分以外の誰かが必要なわけです。
他の誰かにそうした対応をされたからこそ、自分の中に拒絶されたなという、そうした感覚が生まれるわけです。

こうした時には、外的な要因で自分のことを評価しないという、まずそう思うことで この拒絶に対する心構えというものができます。どういうことかというと、拒絶をされたとするならば、 他の誰かからこう言われたから自分は、ああ拒絶されたんだなというように、自分の評価を他の誰かから言われたことで

落とさないでくださいっていうことなんです。自己評価だとか自己肯定だとか、 そうしたことをですね、聞くとは思うんですけれども、これらの物事が低くていいこと ってないですよね。自分の評価が低ければ、自分で自分をダメなやつだと思って、

そう思えば思うほど、あなたの思うダメという方向に引っ張られていくように なるものなんですよ。思ったことがね、言葉に出て、それが行動に移って、習慣となって、人生となっていくので。そういうことなので、 自分で自分の評価起こしたことを低くしていいことなんて1つもないんです。

自己肯定感と言いますけれども、それも同じことですね。これらの 自己肯定、自己評価、自己なんたらっていうような色々ありますけれども、単純に考えてみてください。
事故ということはどういうように書きますか。漢字で言うと、自分という字に己という字ですよね。

であれば、単純に考えて、読んで字のお得なわけです。己で自分を肯定すればいい。
己で自分の評価を高く見積もればいい。誰かに何かを言われたから、拒絶をされたから、そうした外的なことで、 自分が思ったこと以外のことで自分自身の言葉を肯定したり評価したり

しなければいいんですよ。それをね、他人の評価、自分以外の誰かの評価で変わるんであれば、それは他者肯定感とかね、 他者評価基準とかね、そういうことになるわけですよね。単純に、シンプルに考えるとするならば、 こうした拒絶をされたという場合には、そのことが精神の中に深く

刺さってくることもあるかと思うんですけれども、それは自分で決めたことではなくて、 他の誰かが自分のことに対して勝手に評価をしてきたものなんですよ。望んではいない、 望んで自分のことを拒絶してくれなんていうような人はあんまりいないと思うんですよね。

ただ、そうは言っても、他の人からね、何か言われたら傷つくのが人間でしょうと、拒絶をされたら 落ち込むのが人間でしょうと、そういうねえこともあるかと思います。であれば、その起こったことに対して、 その起こった現象ですね、拒絶をされたという現象に対して、古くはね、遡れば、もし、もしかしたら、いじめだとか

体罰、虐待、そうした諸々ね、過去の自分に鎖が繋がっているというようなこともあるかとは思うんですけれども、 そうしたどこかの誰かに、何かに対して他社からの拒絶を受けた場合に傷つく、落ち込む、 そうなるだろうというね、場合であれば、それはこのようにして

解決へと向かっていけばいいと思います。これはですね、声に出していいことへと変換をすると いうようなことをやるわけです。何か拒絶をされたという場合には、何かしらの行動だとか、そうした態度だとか、 誰かから受けるわけですよねえ。その起こった現象を、何か負のもの、

あなたの思う悪いという感覚のもの、そうしたものを受けた場合に、これをいいことへ変換をするんです、声に出すということでね。
起こった現象に関しては、もう入ってきたあなたのフィルターを通って、その 拒絶をされたというネガティブな方向へと変換をなされているわけですよ。ただ、これは理性を使って

言葉に出すわけです。いいことだと言葉に出すわけです、誰か、何かにね。こう悪いことを言われたとして拒絶を受けたという。となれば、 今こうしたことを受けたということは、今後この人とは関わるなという、そういうタイミングなんだなと変換したりだとか、 誰かから暴力を受けたりだとか、そうした意味での拒絶を受けた時には、このように、今私がされたということは、

今後同じようなことを人にはしてはいけないというようなことの学びの時期なんだなとか。いずれの 現象においても、何か物事というのは表裏があるわけです。拒絶というものを離島となるならば 裏と捉えるならば、その真逆、表となる現象も必ずあるわけです。

それを声に出していいことへと、裏から表へと変換をする。こうしたことをするとですね、 拒絶をされたということですら何か意味があるという、そのように自分で解釈ができるわけです。
そうなると、評価がどうだとか自己肯定感がどうだとか、そのようなことは

思う必要もなくなってくるんですね。なぜなら、自分に対して肯定をしたり高い評価を持つというのは 当然のことになってくるからです。なぜなら、声に出していいことを言っているから、 自分で、自分のこと、拒絶にされた、真逆のこと、そうしたことに対して、いいといういいことへと変換をして言った場合には、

ネガティブなことに、悪いことになりようがないんですよ。それはいいことを声に出して言ってるんですから、 それは必然的にそうなりますよね。つまり、何が言いたいのかと言うとですね、この拠点、 あなたが拒絶をされたということを感じるという場合に対して、まず外敵要因で自分のことを評価しないんだということを思うと、

それは自己肯定感だとか自己評価だとかそうしたことがありますけれども、自己というのは、読んで字のごとくですね、自ら 己で決めることですから、人に拒絶をされたからと言って、あなたがあなたの評価を 変える必要は全くないわけです。そうは言ってもそう思ってしまうんだという、拒絶をされたということに対して

そのままストレートに受け止めてしまうんだという、そうした優しい心の持ち主であるあなたは、これを声に出して いいことに変換をするという、起こった現象をいいことへと変換をして吸収し直すという ことをするとの拒絶というものに対しての耐性ができる、拒絶を拒絶だと思わなくなる、

そのように変化をしていきますというようなことですね。過去に何か 非常に重たいねこがあった、だとしても、未来のあなたを作っているのは過去のあなたではなく、 今のあなたです。はい、ということで今回は以上となります。

最後まで聞いていただいてありがとうございました。